5月下旬,久し振りに大阪の日本橋(にっぽんばし)を訪れた.前回の訪問はいつのことだったか,考えるのも恐ろしいほどの歳月が経っているのは間違いない.
今回の日本橋訪問の本来の目的は,先ごろオープンした“ボークス ホビースクエア 大阪”での打ち合わせだったのだが,なにしろ久し振りであるから,少し早い目に現地へ到着し,周辺を散歩してみた.
“前回”の風景からなにがどう変っているのかすら,思い出せないほどの変貌ぶりではあるが,表通りから1本横へ入ってみると,少なくとも雰囲気的には子供の頃の印象が色濃く残っている,ような,気はした.
表通りで,記憶と現在の,あらゆるものの位置関係を再構築するのに役だったのは,なんといっても“高島屋大阪東別館”.
難波の本店には何度か連れて行ってもらった記憶があるものの,こちらの印象は,どうも薄い.そもそも,記憶に残っているこの建物は,高島屋ではなくて松坂屋なのである.記録によれば高島屋に“変身”したのは,松坂屋が天満橋に移転した後の昭和41/1966年のことだというから,無理もないこと.
とはいえ,第一期工事が竣功したのは昭和9/1934年のこと.二期工事は昭和12/1937年の落成だというから,松坂屋だったのは32年間.高島屋になってからは43年間ということになるから,いまではもう立派な“高島屋”.
今回の訪問を機に,近代建築物に詳しい友人に教えてもらったところでは,この建物を設計したのは,静岡の出身で主に名古屋で活躍した鈴木禎次という人だという.ならば,大阪であっても松坂屋の建物を担当したというのは,松坂屋の出自を考えれば,充分にうなづけること.夏目漱石の義弟であるということもこの人のエピソードであるらしいのだが,それはまた別のお話し.
まぁ,レイアウトにデパートを建てようという人はそれほど多くはないだろうが,僕の場合は,駅舎などを観察しているうちに建築物全般へと興味の対象が拡がった,ということ.だから,線路の見えない街路を歩いていても,気の休まることなど,ないのである.まったく困ったものである.
高島屋東別館の全容.鉄骨鉄筋コンクリート造りの7階建て.堺筋沿いにはいくつもの立派な百貨店があったが,今も戦前の建物を使っているのは,ついにここだけになってしまった.
アールデコ調というのだろうか.たっぷりと装飾を施した表通りのエントランス.
一方で裏へ回ってみると,表通りとの外観の落差に驚かされる.増築計画が実現しなかった,という風情である.
もっと不思議な光景が,これ.北面なのだが,外壁はちゃんと仕上げられているのに,通りとの間にまったく別の建物が建ち並んでいて隠れてしまっている.最初からこうだったのか,それとも何時の間にかこうなってしまったのか…….京都の高島屋や東京渋谷の東急109横あたりにも似たような情景は存在するが,事情は異なっているようである.はて.